東南アジアで唯一、ヨーロッパ列強進出から独立を守ったシャム王国を運営する柱になった経済活動とは
編集部 | 歴史とか概要とかの案内は小紋さんにお願いします。 |
小紋 | まずは正式名称から。ASIATIQUE THE RIVERFRONTです。名前はアジアとアンティークを掛け合わせたものです。コンセプトとしては1920年代、日本でい大正末期~昭和初期の「モボ、モガ」を思い出しながら~というものです。 |
編集部 | モボ、モガってなんでしょうか、、、 |
小紋 | モダンボーイ、モダンガールの略です。アジアへのヨーロッパ列強進出時代、ヨーロッパ人の服装や化粧をまねた人たちをそう呼んでいて、それを短くしたものです。 |
では簡単な歴史から。
西暦19世紀、日本の明治時代あたりから、タイはヨーロッパの国々と友好締結や交易を結びました。そのうちの一つにタイ北部で収穫のできるチーク材をヨーロッパへ輸出する、という事業がありました。
チーク材ちょっぴり案内
木の宝石とも云われる。マホガニー、ウォールナットと並び世界三大銘木と称される。
クマツヅラ科の熱帯産落葉高木。熱帯アジア(主な産出国はインドネシア・タイ・ミャンマー)に分布。雨季と乾季を繰り返す気候の中で長い年月をかけてゆっくりと成長する。材質が軽くて堅く腐りにくい。暗褐色で堅い材は高級用材として船舶・建築・家具に重用される。クィーンエリザベスⅡ世号、オリエント急行、タイの宮殿や世界の一流ホテルなど。
チーク材は家具などに用いると重厚な雰囲気がでること、長年使用することによって自らツヤを発することを主な理由として非常に人気がありました。
ヨーロッパでは長くマホガニー(レバノン杉)などが人気がありましたが、タイのチーク材はヨーロッパの上層階級に多いに受け入れられ、輸出も多く行われました。
チーク自体はタイの北部で採集され、チャオプラヤー川でバンコクまで運ばれて来ました。
それをヨーロッパへ運ぶ船に乗せ換えていたのがこの、現在ASIATIQUEのあるこの場所です。
長く、波止場として使われていたこの場所。しばらく前まではタイの大手飲料メーカーの商品集散地として使われていました。
そして21世紀に入り「歴史景観を再現し、雰囲気が楽しめるナイトマーケット」としてよみがえったわけです。
編集部 | へえ、そんな歴史があるんですね。そんなASIATIQUEにはどうやって行ったらいいのでしょうか。 |
小紋 | いろいろな方法がありますが、渋滞知らずで快適移動となると、BTS+無料シャトルボートがおすすめです。 |
スクンビットエリアからなら最短40分程度です。
小紋 | ではASIATIQUEへ行くときに、マダムに準備していただきたいものですが |
1. 訪問時間、スケジュール管理
一部のお店は日中も営業していますが、基本的にはナイトマーケット。17:00以降をおすすめします。
2. 服装
場内は11万7千平方米、東京ドームの2.5倍ほどあります。歩きやすい靴、動きやすい服装でお越しください。
3. ベビーカー
場内は問題なく走行できます。乗船時などはもちろん抱っこひも必須。
4. 旅行者に必要の両替
場内に2か所ありました。お部屋番号Soi2No.2306とNo.5014です。両替所から遠いお店で気に入ったものがあり、バーツがなくて両替しに行くのに時間がかかった、ということがないように、バーツを準備していくのをおすすめします。
5. ATM
それなりにありますが、自分の使っている銀行でない、他行のものを使うと3回目から手数料が発生するなどを考えると在住マダムもバーツを準備していくのがお勧めです。
6. お水
ほかの市場と違って購入できる場所が少なめの印象です。持っていくなり、見かけたときに買うなりしておきましょう。夜といえども歩くと結構のどが渇きます。
編集部 | ショッピン子さんにも買い物的側面から準備するものを教えてもらいましょう。 |
7. クレジットカード
使用できるお店は少な目でした。また、値引き交渉するにも「現金で払うからもうちょっと安くして!」というセリフのためにも、現金を準備していきましょう。
8. 電卓
片言や片言以上の英語が通じるお店は多いですしみんな電卓は用意してるのですが、自分で使い慣れた電卓のほうがスムーズに計算で来て交渉もその分スムーズ!
編集部 | ガイドブックとしてバンコクマダム本誌2012年08月号をお忘れなく! |
明日は引き続き小紋さんに「ASIATIQUEは今までの市場とココが違う!」という点を紹介してもらいましょう。