タイで輝く日本人女性


バンコクで生まれたのにタイ語が話せないのはもったいない

バンコクで産声をあげた、飛騨晶子さん。幼い記憶に残る首都バンコクは、それほど魅力的なものではなかった。高校2年生のときに訪れたノンタブリー県のホームステイをきっかけに、タイへとハマっていく。今では3つ子の母であり、不動産会社社長でもある飛騨さん。タイと歩んだ半生とは。

「父親が商社に勤めていて、バンコク駐在中に私が生まれました。5歳で日本に帰ったので、タイのことは知っていても、もう言葉は忘れていましたね」帰国後もたびたびバンコクへは来ていたが、家族と一緒に過ごし、日本人居住区しか知らなかった。そんなとき、中学の体育の先生から聞いた、ノンタブリー県のホームステイの話が飛騨さんを再びタイへ呼び寄せることになる。「先生がもともといた学校が、ノンタブリー県の学校と姉妹校だったんですね。毎年スタディーツアーなどをやっているという話を聞いて、自分がタイで生まれたこともあり、興味を持ちました。高校生になるまで待ってほしい、とのことだったので、高校2年生の春に先生に連絡して、ホームステイできることになりました。ですが私はタイ語をすっかり忘れていて、そのとき暖かく迎えてくれたホストファミリーの人と話すことができなかったんです。昔タイにいたのにタイ語を話せないのはもったいないと、大学ではタイ語を学ぶことに決めました」と飛騨さん。

大学でタイ語を専攻しつつ、長期休みがあれば父のいるバンコクに滞在し、語学学校にも通った。それでも、自分のタイ語がネイティブに伝わるものではなかった。「ちょうど阪神大震災が発生したとき、『外国人地震情報センター』というものが立ち上がったんですね。被災して困っているタイ人に情報を伝えられるように、タイ語のボランティアを募集していたんですが、実際に自分が現地に行っても通訳できるレベルじゃない。他にも、大阪市教育委員会のボランティアでタイ語通訳などもやったんですが、全然できなかったんです。勉強しても使えないのでは意味がないと、大学を卒業したらタイに来ることを決めました」

家族向け物件では、母親目線でアドバイス

3つ子と一緒にレストランにて

大学卒業後、タイの日系企業で現地採用として勤務。20年ほど前はまだ女性の現地採用は少なかったと言う。1社目はサービス小売業、2、3社目は製造業、4社目で商社、そして今から2年前に同社を起業した。4社目を辞めたときに3つ子を妊娠・出産。現在は、育ち盛りの5歳の子どもたちとにぎやかな生活を送っている。「子どもを持ったことで、家族向けの物件をご提案する際には母親目線でアドバイスができるようになりました。住居のトラブルが発生した場合はオーナー様や管理事務所と直接タイ語でやりとりし、迅速な対応を心がけています」

高校2年時、ホームステイ先の子ども2人と一緒に 。飛騨さんは右端、一番左端は友人

不動産賃貸の仲介以外にも、個人で通訳や翻訳の仕事も請け負っている。裁判や企業買収、会計監査などのハイレベル案件にも対応。「通訳だけをするのではなく、タイで20年培ってきた知識や経験を生かして、日本人のお客様であれば、タイ人の習慣や考え方などのアドバイスもしています。逆にタイ人のお客様には、日本でのやり方など補足を入れながら通訳します。お互いが決裂しないように、うまく調和させるように心がけています」

タイで仕事をさせていただいているという気持ちを大切に、社長として母として、今日も忙しく働いている。

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